ベートーベンは音楽史の中で特に重要な作曲家のひとりです。
日本でも非常に人気が高く、ベートーベンの作品を演奏するコンサートには多くの観客が訪れます。
ベートーベンは1770年12月16日にボンで生まれます。
父親のスパルタ教育により音楽家となり1792年にハイドンに才能を認められて音楽の都ウィーンに移住します。
20代の半ばから難聴が悪化して自殺も考えますが、音楽への深い愛情から危機を乗り越えます。
交響曲第3番を発表すると中期を代表する作品を次々と書き、ピアニストをやめて作曲に専念するようになります。
40歳頃には全聾となり下痢や腹痛にも苦しめられますが、交響曲第9番や弦楽四重奏曲、ピアノソナタなど後世に残る優れた作品を発表します。
日本はピアノを習う子供が多いですが、ベートーベンは子供達からも好まれる作曲家です。
作品としては三大ピアノソナタがよく知られています。
最も有名なのがピアノソナタ第14番で、この曲は1801年に作曲されたもので月光ソナタとして日本でも弾く人が多いです。
伯爵令嬢に献呈された曲で、作者自身が幻想曲風ソナタと名付けます。
第1章は緩やかで第2章、第3章と進むごとにテンポが速くなります。
ソナタ形式でフィナーレに重点が置かれ、バランスの良い楽章配置になっています。
第1章は月光の曲として知られ、第2楽章は複合三部形式です。
第3楽章はソナタ形式で激情を感じさせます。
ピアノソナタ第8番は悲愴と名付けられています。
この作品は1799年に出版され、パトロンだった侯爵に献呈されています。
この曲はピアニストだけでなく作曲家としても才能があることを世に知らしめた作品です。
美しい旋律とドラマチックな曲調は、初期のピアノソナタの最高峰と呼ばれています。
チャイコフスキーの交響曲第6番は、第1楽章に悲愴の主題とよく似たモチーフが使われます。
第2章は最も有名な楽章のひとつで、ドイツの著名な音楽評論家はベートーベンの作品中でも指折りの作品だと高く評価しています。
第23番の熱情は中期の最高傑作です。
傑作が多く生まれた中期は作風にも変化があります。
このソナタは、歌劇のフィデリオと経こうして書かれています。
フィデリオのスケッチにはこの作品の楽想が書かれているため、作曲がスタートしたのが1804年であったことがわかっています。
1805年夏のフィデリオの完成時と近い時期に書き上げられたと伝えられます。
この曲の楽譜は1807年にウィーンの美術工芸社から出版されます。
熱情というのは出版社側が付けたものですが、現在でもそのまま使われています。
熱情も最高傑作のひとつとして有名で、弟子のチェルニーも絶賛しています。
この曲を演奏する場合は高度な技術を要求されます。
ベートーベンが表題を与えている作品は悲愴の他にもう1曲あります。
それが告別と呼ばれている第26番のソナタです。
この曲が作曲されたのは1809年から1810年にかけてです。
この曲は神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世の兄弟で皇族だったルドルフ大公に献呈されています。
第1楽章には告別の副題がつけられ、第2楽章には不在の副題がつけられています。
第2楽章にはドイツ語で緩やかに表情をこめてと指示が書かれます。
第3楽章の副題は再開で、非常に生き生きした速度でという指示が出されています。
華麗なアルペジオの序奏が魅力です。
第2主題に何度も登場するフレーズには、同じ時期に作曲された有名な皇帝協奏曲の第3楽章と似たパッセージが使われています。
ハンマークラヴィーアの名で知られる第29番のソナタも人気があります。
この曲は1817年から取りかかり、1819年の9月に出版されてルドルフ大公に献呈されています。