ロマン派音楽は、1800年初頭から1900年代まで続いた音楽であり、1827年に亡くなったベートベンの死が契機となって古典派音楽から移行したとされている音楽です。
古典派音楽は、西ヨーロッパの宮廷や教会で華やかに演奏されるだけの閉塞的な文化でしたが、ロマン派音楽は東ヨーロッパや北ヨーロッパ及びロシアなどユーラシア大陸全土で国際化すると共に地域独特の伝統音楽や民族音楽と融合を果たし新しい音楽を生み出しました。
音楽家の中には、古典派音楽の隆盛時には使用される事が少なかった不協和音を好んで使用するだけで無く、予備旋律や軸足となる和音も綴る事無く転調する新しい作曲をする音楽家が数多く登場します。
古典派音楽は、ハイドンやモーツァルト及びベートベンに代表されますが、美術や文学の様にギリシャ時代やローマ時代などの古典を復興させる目的は無く調和を重んじる「ソナタ形式」や「交響曲」などの形で多くの名曲が生み出されました。
古典派音楽は、モーツァルトやハイドンなど多くの音楽家がそうであった様に活躍する為に宮廷や教会のお抱えの音楽家になる必要があり、最低でも強力なパトロンを得る必要がありましたが、ロマン派音楽では過去の規律や慣習にこだわること無く自由な作曲活動が出来る様になった点が大きな変革をもたらしたと言えます。
その為、規律や慣習だけで無く精神的にも開放された事から古典派音楽の様に聖書や神話に基づく題材では無く、音楽家自身の恋愛や不満など精神的な人間らしい感情が主題とした個性的な作曲が行われる様になりました。
また、音楽を1つのストーリーの様に考える音楽家も登場し、様々な物語や叙事詩をの情景を連想させる表題音楽や絶対音楽が生み出されました。
標題音楽は、パリ音楽院のル・シュールによって劇的要素を多分に含んだ音楽を享受されたルイ・ベルリオーズによって固定楽想を用いた「幻想交響曲」で確立されたとされ、ドイツのヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指環」で大成しました。
ルイ・ベルリオーズは、フランスの10フラン紙幣にも描かれるほどのフランスの代表的な音楽家であり、トマス・ド・クインシー原作の「或る英国人阿片常習者の告白」を固定楽想にした「幻想交響曲」が有名です。
ルイ・ベルリオーズは、ドイツの劇作家かつ詩人など多くの肩書を持つヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ原作の「ファウスト」を固定楽想にした「ファウストの劫罰」や英国の第6代男爵バイロン卿原作の「チャイルド・ハロルドの巡礼」を固定楽想とする「イタリアのハロルド」など数多くの文学に傾倒した名曲が多い音楽家と言えます。
オペラでは、シェイクスピア原作の「から騒ぎ」や「ロミオとジュリエット」を固定楽想にした「ベアトリスとベネディクト」などを作曲し、トロイア滅亡後の英雄を描いたウェルギリウスの叙事詩「アエネイス」に基づく「トロイアの人々」など数多くの標題音楽を作曲した音楽家です。
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーは、自作歌劇の台本を単独執筆するだけで無く作曲も手がけるする事から「楽劇王」の異名で呼ばれる音楽家かつ文筆家であり、幼少期には音楽で全てを表現する絶対音楽の作曲家を目指した経緯を持ちます。
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーは、ドイツのライプツィヒのルター派の聖トーマス教会でキリスト教音楽の指導者トーマスカントルの指導を受け、1832年若干19歳の時に歌劇「婚礼」を作曲すると共に翌年にはヴェルツブルク市立歌劇場の合唱指揮者に就任しました。
ワーグナーは、反ユダヤ思想を持論としていた事からナチスに利用された経緯があり、イスラエルではワーグナーの曲はタブーとされていますが、北欧神話に基づく「ニーベルングの指環」やケルト神話に基づく「トリスタンとイゾルデ」などヨーロッパ諸国では人気の音楽家です。