スクールに通い講師の指導を受けつつ本格的にピアノを習っていると、講師の方から表現力を高めるように言われるものの、漠然とした事柄であるが故に対策が見つけられずスランプに陥ってしまう方が居ます。
一方、マイペースに独学で趣味として楽しんでいる方においても、CDなどに収録されているオリジナル曲とは遠い仕上がりになってしまうという悩みを抱えている方も少なくありません。
どちらの方々にも共通しているのは楽譜通り弾く事はできているものの、楽譜には記載されていない感覚的なものが不足しているという事です。
個々が生まれ持っているセンスと同じように後からすぐに講師などから求められる能力を発揮し、演奏に活かせるようになるのは難しいのですが、意識の持ち方をしっかりとする事により速やかに改善できるようになりますし、より一層惹きつける演奏が行えるようになります。
もちろん、憧れのピアニストの雰囲気を真似るように心がけたり、楽曲の空気感を真似るようにしても良いのですが、唯一無二の自分だけのものを得るために必要なのは、自分らしさが感じられるように弾く事です。
たとえプロを目指しておらずマイペースにピアノに向き合っている様子の方でも、向き合っている時に個々により異なる個性や人柄というのは存在しているので、いかに鍵盤を叩く指に落とし込めるのかが要です。
そうした違いによりたとえ全く同じ曲を弾いていても可憐で可愛い雰囲気に聞こえる事例がある一方で、クールで透明感を強く抱く印象に感じる方に分けられます。
そういった個人差により自然とイメージが付いてしまうという事は、クールな雰囲気を大切にしつつ演奏しなければ世界観が壊れてしまうといったシーンで、可愛い雰囲気が強調されるピアニストは不利になるとも考えられます。
しかし、得意としている様相とは真逆の世界観の作品であっても諦めたり世界観を台無しにしてしまう心配はありません。
自分が持つ表現力とは違った世界観を醸し出す必要に迫られた時には、これから演奏する作品が持つ雰囲気を十二分に知るという事が重要になります。
音楽というのは動画などとは異なり、集中して耳を傾けずに聞き流すと和音や単音で構成されているメロディーにしか聞こえませんが、目を閉じて集中して聞くと動画などのように明瞭な映像が無いからこそ、イメージを底なしに広げられます。
ピアノが多様されているクラシック音楽では、古来のヨーロッパなどが舞台として作曲されている事が多いので、かつて貴族達が交流を図っていたお城の様子をイメージしたり、お城の周囲にある石畳の道などをイメージします。
すると、自然と石畳の道を歩く人々の姿や肌に当たる風といった具体的な情緒もイメージできるようになるので、そのように具体的な雰囲気にまで感情移入した上で、もう一度ピアノに向き合って演奏を再開してみましょう。
当然、頭の中にイメージするのは直前まで連想していた楽曲が作られた時代の町並みや空気感などであり、それらを連想して鍵盤を叩くと明らかに以前とは違う事に気が付きます。
それは体全体を使ってピアノという楽器を演奏しようとする様子であり、通常は椅子に座りせいぜい動かすのは足先や腕そして指です。
ところが、世界観に浸ってからピアノを弾くようになると体全体を使って演奏するようになるので、たとえ指先のみで鍵盤を押す楽器であったとしても、それまでには無かった強弱や音の伸びが再現できるようになります。
プロのピアニストが演奏会の時に大きく体を動かすのはパフォーマンスではなく、表現力を高めるためのテクニックでありそれほど楽曲の世界観に浸っているという証拠でもあります。