学校の部活動などでお馴染みの吹奏楽が持つ歴史は古く、古代エジプトの頃には既に太鼓とラッパを主として用いながら行進していく様子が壁面に残されているほどです。
その後古代ローマの時代が訪れると編成が大きなものになり、中世を代表する軍楽の基本が既に完成していました。
中世は進化するスピード感も目を見張るほど早いものであり編成が大きくなった事のみならず使用する楽器の種類と数も増えておりクラリネットやピッコロが追加された事をはじめ金管楽器の発達と打楽器の再評価、トライアングルや大太鼓、シンバルなどの打楽器を中心として大きな役割を持つようになります。
17世紀に入ると吹奏楽はフランスとドイツなどでも盛んに見られるようになり、芸術音楽に対しても大きな影響を与え、18世紀には編成内で用いる楽器が各国により違いが見られ始めるのですが、規模については今日と遜色ない様相です。
楽器が発達し従来は発する事ができなかった音が発せられるようになると、これまでは士気を高め気持ちを鼓舞させる事に焦点が当てられていた軍楽が持つ意味合いが変化し始めます。
複雑な音色を出す事が可能になった上に移動が容易で大きな音量を出す事ができるという利便性の高さから従来は野外で演奏を行う事がメインでしたが、尚一層演奏する会場が広くなると管楽器と同様の効果が出せるようになったため、今日のように吹奏楽という形で演奏の分野が認知されるようになりました。
ヨーロッパは古くからある物事を重要視する特性があるため、当時はまだ新しいものと捉えられていた吹奏楽は一般的にあまり大きく取り上げられる事はなく軍楽隊にのみ伝統が伝承されていたものの、アメリカでは新たなる文化を建設すべく積極的に取り上げられる機会が多く、学校教育と社会教育を基本に活用されて広く民間にまで知られます。
アメリカの積極的な姿勢がいかに強かったのかという実情がよくわかるのは1929年にABAが設立された様子であり、アメリカという国を発展させる事と世界中の国々と交流をするための架け橋として用いられるほどであったからこそ、現代のような吹奏楽と言えばアメリカというイメージが根付いている所以でもあります。
当然の事ながら日本に伝わってきたのは他国に比較し長い年月が経過してからなので、薩摩藩に居た男性が1869年にイギリス人から直々に指導され、陸軍と海軍の軍楽隊が立ち上げられた事が由来です。
学校教育の部活動として導入され始めたのは大正時代になってからであり、その後遊園地や百貨店に少年で構成された音楽隊が誕生した後に民間の楽団が誕生し、一般市民の間に広く広まっていきました。
昭和になると連盟が立ち上げられ全国各地で演奏会やコンクールが高い頻度で開催されるようになり、他国では当初から役割を有していた気持ちを鼓舞したり士気を高める用途で用いられるようになったのは第二次世界大戦が開戦する頃で、日本は他国と比較した場合逆順を追っていると言っても過言ではありません。
第二次世界大戦では日本は非常に厳しい状況下に置かれてしまい楽器を手にして演奏する事ができずにいましたが、青少年を教育するためには音楽が最も適しているという事が認められた事を受け戦前のように学校にて採用されるようになり、数が急速に増えていくのと同時に演奏技術も著しく高くなり日本の吹奏楽全体のレベルが高くなっていきます。
1967年には連盟に続いて指導者により構成される協会が立ち上げられ、協会を通じて他国の演奏家達と積極的に交流を図るようにしたり、日本国内に尚一層文化を根付かせるべく尽力し現代のようにあらゆるシーンで欠かせないものになりました。